「他者とともにあること 詩人・大江満雄が示した生き方から」(『週刊読書人』2018年3月23日号)


『週刊読書人』2018年3月23日号

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いま、詩人・大江満雄(一九〇六―一九九一)について知る人はそう多くないだろう。戦前はプロレタリア詩運動の中心で活躍し、治安維持法による二度の検挙ののち獄中転向。戦後は対話的精神に満ちた抒情的思想詩を発表するいっぽうで、全国のハンセン病療養所に暮らす人びとと詩作をとおして交流をつづけた。『来者の群像』は、約四十年に及んだその交流の具体的なありようを証言と作品により辿ったものである。

ハンセン病を理由に療養所に隔離された患者のなかには、「自分を救うのは、文学以外はない」と、文芸への情熱を糧に生きる人びとがいた。戦時中の転向問題という、認めがたい自己を抱えこんで生きざるをえなかった大江満雄は、戦後まもなく彼らの詩と出会った。大江とハンセン病者には、共鳴しあう基盤があった。それゆえ大江は、過去に負の存在とされた「癩者」を、私たちに未来を啓示する「来るべき者」と考えた。「ぼくは死んだ言葉たちの中で生きている新しい言葉です/虚飾な、いつわりの言葉たちにとりかこまれ、/癩者の憲章を書きつづっている未来的な少年です」(詩「癩者の憲章」)。

患者の部屋をふらりと訪ね、お茶を飲み、話しこんだという大江の足跡は、正式な来園記録などには残らない。『来者の群像』の著者・木村哲也は、大江との交流を記憶する存命の人びとを全国に訪ねてまわった。木村は中学生のとき、大江に会い、強い印象を刻まれた。木村のまなざしが、知られざる交流史を豊かに描き出す。

大江をハンセン病者に出会わせたのは、転向の苦悩だった。だが大江の転向とは、そもそもいかなるものだったのか。二〇代のころ出会った大江を師と仰ぎ、彼の死後もその生涯と向き合いつづけてきた渋谷直人による評論集『遠い声がする』所収の「思想詩人としての大江満雄」は、大江の生の資質としての〈他者志向性〉を明らかにする。「他者と共にあろう、他者と苦悩を分かち合おう、そうせずにはおれないという、やみがたい志向性」で大江は唄い、そうすることで主体性を保った。渋谷は、大江の詩から、観念や意匠としての戦争反対を超えた力を見いだす。渋谷の戦後もまた、玉音放送を聞かされて、「兵隊帰りの闇屋」になるという、自己の崩壊感覚を抱えこんで始まった。そんな渋谷だからこそ、金井直、島尾敏雄らの、戦後に実った文学の奥から、時とともに置き去りにされかねない思想をひとつひとつ、拾い上げることができた。

「ちいさな草を凝視めてゐると/いつまでも立つてゐて踏む者を見張りたくなる」(大江満雄「草の葉」)。他者とともに生きようとした大江の資質を、かたちは違えど、木村と渋谷も携えているように思う。大江が身をもって示した思想は限りなく深い。その生き方とともに、いずれの著作も私にとって忘れがたい感触を残すものとなった。

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