【緊急声明】長崎の地で生きる人びとに呼びかける(2020.4.7)
新型コロナウイルスの感染拡大にまつわる一連の出来事と、それらへの対応等に関して、2020年4月2日、つづけて4日に、以下の文章を当サイトに公開しました。
▼いま「言わねばならないこと」を言う(2020年4月2日記)
https://henshushitsu-suiheisen.themedia.jp/posts/8014169?categoryIds=801205
▼続・ いま「言わねばならないこと」を言う(2020年4月4日記)
https://henshushitsu-suiheisen.themedia.jp/posts/8021158?categoryIds=801205
そして本日、2020年4月7日に日本政府が「新型コロナ特措法」に基づく緊急事態宣言を発令する見通しであることを受けて、さらに次の呼びかけ(4月6日付「編集室水平線」ツイッターアカウントでの投稿を再構成)を、長崎の地で生きるすべての人びとに向けて、ここに掲載します。
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今回のコロナ禍により、経営難・倒産・廃業・失業などの危機にある、もしくはすでにそうなった人へ。もしよかったら、編集室水平線の下記アドレスに、どうぞご連絡をください。
edit.suiheisen@gmail.com
私にも金銭的余裕はありません。しかし、共にやれることがあるはずだと考えます。
第一に、市・県・国への働きかけです。
行政機関は、私たちが納めた税金で成り立っています。そこにあるのは、「私たち自身のお金」です。お金がなくて困っているのなら、そのお金を戻させればいいのです。それこそ「不要不急」の事業や広報などに使われているお金を、「返済不要」の条件ですぐに出すよう、圧力をかけましょう。
組織のトップ、および、彼らを取り囲む連中が、「無能」ないし「話が通じない」ならば、そいつらを「実力行使」で一刻も早く引きずりおろし、アタマをすげ替えなければなりません。事態は深刻であり、日ごとに厳しさを増しています。それに、「主導権」は本来こちらにあるのです。まずは、私たちが暮らす、市・県のレベルから。そしてもちろん、国に対しても、私たちの「正当な要求」を認めさせましょう。
第二に、NPO法人や社団法人などで、当面の生活を助けてくれそうな団体を探しましょう。すっかり荒んだ世の中ですが、まだ稀に「地の塩」のような人たちがいて、支援を得られる可能性があります。もしうまく見つけることができたら、親身に相談にのってくれるでしょう。一息ついて、これからを考えましょう。
第三に、「金持ち」から、お金をふんだくりましょう。こいつらは、弱い立場の労働者を搾取して、あるいは他人を出し抜いて、文字どおり「法外な利益」を得ているのですから、構いやしません。人を支配するのが得意なだけで、汗をかくことを知らず、社会に還元することを考えない。「お返し」は、コロナ菌でよいでしょう。
第四に、まことに原始的ではありますが、「相互扶助」です。聞いたことがありませんか、「国破れて山河あり」。住居や食べ物、お金など、それぞれがいま手にしているものを持ち寄り、少しずつ分け合って、衛生面には細心の注意を払いながら、どうにかやりくりしていけば、いいのです。子どもがいて、将来ある彼らの世話のために休業せざるを得ない人も、この方法なら、しばらくの間は、なんとかなるでしょう。こうした生活のなかから、新しい展望がひらける可能性もなしと言えません。
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私は感染症の専門家でもなければ、医療従事者でもありません。
また、社会活動に熱心なわけではなく、政治は人一倍きらいです。
普段はささやかに本を読み、つくっている、ただの、「ひとりの人間」です。
しかし、そうであるがゆえに、また、そうであるからこそ、いまこうして、現在進行形のことがらに、自分の持てるかぎりの「知」を総動員しているのです。
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長崎の新聞・出版・放送・ネット、あらゆるメディア関係者に呼びかけます。
今回のコロナ禍で苦しむ人びとの声を拾い上げ、窮境を救うための「大々的なキャンペーン」を今すぐに実施してください。
メディアの役割の重要なひとつは、社会のなかで困難に直面している人たちの状況を取材し、自分の目で見て、話を聞いて、それをしっかりと伝え、世の中を動かしていく。そうではありませんか。
そのことは、行政をになう者たちに、目の前にある「現実」を突きつける、強力な訴えになるはずです。
日本の歴史をふりかえれば、国が誤った方向に進もうとしているときに、メディアはそれに対する批判的な報道および検証をおこなわず、多くの場合、追認もしくは積極的に先導さえしてきました。もっとも無残だった例は、言うまでもなく、第二次世界大戦期に見られます。
長崎は1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、米国により原子爆弾を投下された街です。死者 7万3884人、負傷者7万4909人(1945年12月までの推定、長崎市原爆資料保存委員会調査)。
〈原子爆弾ノ炸裂ニ際シテハ先ズ強烈ナ一大閃光ガ迸バシリマシタ。ソレハ恰モ強烈ナ「マグネシウム」ヲ焚イタト同ジ様ナ感ジデ、アタリ一面ガ白茶ケテボンヤリ霞ンデ仕舞イマシタ。ソシテ爆発ノ中心部デハソレト同時ニ、又多少距離ノアル所デハ夫激ヨリ瞬時ノ後、猛烈ナ轟音ト共ニ強烈ナ爆風ト熱気トガ襲ウテ来タノデアリマス〉(長崎県『8月9日長崎市空襲災害概要報告書』)
その惨禍、その後の人びとの苦難については、2016年に移住してきた私などより、みなさんのほうが、はるかによくご存じのはずです。
メディアには、このような事態を二度と繰り返さないための、いまを生きる者たちに対する、そしてまた、無念にも殺されていった死者たちに対する、歴史への重大な責任があるのではないでしょうか。
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精神的苦境にある人には、私は本づくりを仕事にしていますので、なにか良い本を(こっそり)おすすめします。
音楽や映画や美術などについては、またどなたか、ほかに教えてくださる方があるでしょう。
なお、すぐにご返信ができるとは限らないということを、あらかじめお伝えしておきます。
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最後に一冊の本を紹介します。
ラスプーチン『生きよ、そして記憶せよ』原卓也・安岡治子訳、講談社、1980年
作家であるヴァレンチン・グリゴーリエヴィチ・ラスプーチン(1937-2015)の描いたテーマは、「死と破滅」でした。
しかし、それにもかかわらず、本書のタイトルは、『生きよ、そして記憶せよ』、なのです。
その意味をかみしめながら、互いに声をかけあって、目の前の出来事に、立ち向かいましょう。
(編集室水平線・西浩孝/2020.4.7記)
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