【小説】諸屋超子「ノー密」掲載


 長崎在住の作家・諸屋超子(https://twitter.com/k457zAgkr7OkqrA)による〈コロナ in ストーリーズ〉の第3作「ノー密」(4月25日脱稿)を以下に掲載する。既発表の「ソシアル ディスタンス」「禍禍(まがまが)」と同様、下記URLからPDFファイル版(四六判/縦組み/9ページ)をダウンロードできるようにした(こちらで読むことをお勧めする)。「FUCKIN' STAY HOME 週間」(4月25日〜5月6日)に、ぜひお楽しみいただきたい。→ PDFファイル https://xfs.jp/7mbfPa

 なお、本シリーズタイトルに関する著者からのメッセージをここに示しておく。

「このシリーズはCOVID-19(新型コロナウィルス)について書いていきます。 コロナという呼び方について、タイトルに使うべきか悩みました。人名にも使われる言葉で、からかいに悩む子どもが何人もいると耳にしたからです。 そこで調べると、コロナとは、太陽の光冠の意であるので、私には希望に満ちた美しいと言葉であるように感じました。 そしてそんな太陽の光冠のような輝きが、こんな禍いの中にもやはり在ると感じました。 そしてこのシリーズタイトルに決定することに迷いがなくなりました」(諸屋超子)

(編集室水平線・西浩孝/2020.4.29記)




ノ ー 密

諸屋 超子


 風邪をひいた。風邪だと思う。風邪だといいと願う。

 バイトから帰って、買ってきた夕飯の材料を床におろした瞬間、なんだか頭がクラクラした。でもトモくんより早く帰れる日は木曜日くらいだからって、はりきってアクアパッツァと紫玉ねぎとひよこ豆でクスクス入りのサラダを作った。

 少し寒い気がしたけれど、そこはほら、春先だし。汗も出てきたけど、動いて体が温まったからだと思った。

 出来上がった料理は我ながらすごくオシャレだった。自粛続きで外食できないから、トモくん喜ぶよねって思った。テーブルセッティングも頑張ろうと思ったけど、ふと気がついた。

 食べたくない。

 お腹は空いてるはずなのに。

「マル、顔赤くない?」

 ふり返ると、ちょうど帰ってきたトモくんが眉根を寄せてこっちを見てる。せっかく頑張ったのに。

「38.7℃……」

 とりあえず横になったソファがひんやりして気持ちがいい。トモくんは一階の自販機までポカリを買いに行ってくれてるけど、私のところに戻らせていいのかな。分からなくてデジタルの体温計をひたすら振って冷やしてみた。38.9℃に上がってた。なんでだよ。


 今日も勤務先の話題はコロナコロナで、俺は社長からついに、しばらくパチンコ禁止の御達しを食らった。それでなくても雨続きで働ける日少ないわ密度下げるために勤務日減らされるわで参ってんのに。どうすんだよ。

 マルが不動産サイトを嬉しそうに眺めていた昨夜のリビングを俺は思い出す。二人で始めた引っ越し資金貯金。マルは無駄遣いしてばっかでなかなか貯まんないんだけど、それでもちょっとずつ増えていた中身にそろそろ手をつけることになりそうだと思ったら、なんだか襟足がジワジワ不快になってきた。俺ははめていた手袋を放り投げてアメリカンスピリットの緑色の箱を乱暴に摑んだ。

 神様はなんでこんな意地悪ばかりするのだろう? ただ恋をして、ただ一緒に暮らして、ただ犬が飼いたい。そう思っただけなのに。

「ちゃんと起きてんのかよ」

 俺はいやらしいくらい爽やかに晴れた空に向かって悪態をつく。神様、サボってんじゃねえよ。

 そのバチが当たったのかなと思った。信心深い方とは言えないけど。いや、だからこそ俺はバチが怖い。何にも手出しのできない、コントロールできない力は、俺をずっと翻弄し続けている。チグハグな体と心。安い抜き屋に、テンションの上がった自分と、いざとなると公園のベンチに座って友達が抜き屋から出てくるのを待っていただけの自分。丸みを帯びだした体への恐怖と、カチコチと硬くなっていく心。あいつは全部黙って見てた。

 俺の神様は昼寝してばかり。もしマルをコロナにしたら殺してやる。


  青い缶に白いライン。トモくんが優しくほっぺたにあてたポカリはすでにちょっと汗をかいていて、私はちょっと不安になる。

 そんなわけない。そんなの理屈が通らない。こんなに愛されてるんだから大丈夫。でも不安になる。

「私がコロナになったと思って置いて逃げようとした?」

 聞けなかった。聞いたらきっとトモくんが抱きしめて安心させてくれる。そしたら一瞬で消してもらえるのに。私をいじめてばっかの自分の声を。否定や拒否に身構えてばっかの惨めな声を。

 でも。もし抱きしめられたら、濃厚接触どころじゃないんじゃないかって、そう思うと聞けなかった。

「ありがとう。ごはん、冷めないうちに食べて。寝てくる」

 フラフラする頭、重い手足。ポカリも重い。寝室を開けたら、ひんやりした空気が闇の中から出てきて裸足の足に嚙み付いた。


「あー、コロナっていつ終わるんすかね」

 仕事中、だしぬけに山尾が大きな声で聞いてきた。あれは俺に聞いたんじゃなかったのかもしれない。山尾は天を仰いでそう言い終えると、キャベツの入ったカゴをすごい勢いで運びまくった。それはやけくそみたいなスピードで、おかげで今日は人が少ない割に早く仕事が終わった。

 山尾の嫁さんは、2カ月前に赤ちゃんを産んだばっかで、毎日帰ると嫁さんが家の中を消毒してるって言ってた。俺は想像してみようとする。弱くて小さい命が家にいる暮らし。ウイルスという見えない殺人鬼。怯えているマル。俺にできることって何なんだろう。

 マルが作ってくれてたのは、先月俺の同級生の迫田の家に二人で行った時に出てきた料理だった。あの家には子どもがいたけれど、もう13歳になっているから、ずいぶん丈夫そうに見えた。でもあの子のことを学校には行かせないと迫田は言っていた。

「心配性だって笑われてもなんてことないけど、子どもが罹患したら私は後悔するから」

 俺は迫田からのそんなLINEを見ながら、迫田が娘の由真ちゃんと話して笑う時の二重顎と弛んだ腹を思い出した。迫田のパートナーと娘は仲良くて、本当の親子みたいでは全然ないけれど、家族だった。

 叶わないと思って考えないようにしてきたけど、“母は強し”になったマルを見てみたくなった。でも、山尾みたいな苦労がない分、自分たちは恵まれている気もする。

 よく誰かがこれは良い、これは悪いなんて簡単に言うのを聞くけど、どっちが良いか選ぶことは、俺にはいつも難しい。


 起きた時、今がいつでどこにいるのか一瞬分からなかった。深く眠っていたらしい。夢の中で、私はドライブをしていた。助手席には白い犬が乗っていて、トモくんがいなかったのに、そのことを私は不思議に思っていないみたいだった。ただ、犬と二人で Green Day を聴きながら頭を振ってた。車はずっと欲しかったシルバラードクルーキャブ。どこまでも続くまっすぐな道で見通しは良好だった。なのになぜか道の真ん中にトモくんが立っていることに、私はすぐには気が付かなかった。あわててブレーキを踏んだ。一生懸命に。強く強く踏みながら思った。犬もシルバラードも要らないから、トモくんを助けてくださいって祈った。神様に。

 夢はそこで終わった。大声に遮られて。私は声を出して泣いていて、隣で寝ていたトモくんがびっくりして抱き寄せてくれた。抱き寄せられて、私は濃厚接触とか3密とか村八分とか、いろんな頭にこびりついていた言葉たちが消えていくのを感じた。

 ずっとリボンもフリルも好きじゃなかった。でも自分が女だってことは知っていた。でもみんなが私を男の子だって言っていて、私の体もそう言っていた。

 イヤになるような違和感の時間。人に伝えていいのか分からなかった。“親にもらった身体”にケチをつける“親不孝者”と言われるんじゃないかって怖かった。我慢して、我慢して、我慢した。そっと少しずつオシャレをしながら違和感も、イヤなレッテルも小さく小さく心の中で折りたたんで、絶対開かない瓶に詰めて蓋をした。

 でも、トモくんのことだけは我慢できなかった。この人と一緒にいたいと思った。カッコイイと思った。優しいと思った。オシャレだとも思った。でもそれより、隣にずっといたいとただ思った。

 こんなふうに熱烈になったのは初めてだった。ずっと目立たないように、“普通”の中から出ないでいられるように、もう誰にも意地悪されないように、気を付けてきたから。

 私は、恋をすると勇敢になるんだって誇らしかった。

 そう、私が怖かったのはコロナじゃなかった。また意地悪されることだった。トモくんの居場所を奪うことだった。今も怖い。すごく怖い。でもトモくんといたら私は勇敢になるんだってこと、忘れてた。大丈夫。

 翌朝かかりつけのお医者さんに行ったら、インフルエンザだった。インフルエンザでほっとしたことは、生まれて初めてだった。私はしっかり薬を飲んで、2日寝たら後は元気になってマンガ本を読んだり、映画を見たりして過ごした。後で手に入らなくなってしまうのが怖くてつい全巻まとめ買いしてしまう癖が、やっと役に立った。

 マンガの中では、女の子が鬼に食べられないために知恵を使う。私みたいに勇敢な女の子。


 マルがインフルだったから、俺は仕事を2日休んだ。マルが部屋から出てこないあいだ退屈だから、残りの5日分(マルの職場ではインフルエンザは1週間出勤停止だ)の食べ物を作り置きしたり、椅子にヤスリをかけてオイルステインを塗ったりしてた。また収入は減るけど、この前みたいにはムカつかなかった。

 どうやら俺の神様も起きてはいたらしい。

「この自粛生活が終わったら何がしたいですか?」

 テレビでは、にやけた男が、視聴者に向かって繰り返す。俺も考えてみる。

 てゆーか、いつ終わんのこれ? 終わったりしないんじゃないの? いや、終わっても戻らないんじゃない? 壊れたあれこれ。

 他人の問題を「それって重くない?」のノリで蓋してきた社会が、また戻ると信じて男が話す。

「今は暗い話が多いですが……」

「我慢のしどころですね」

 ザマアミロ。何も見えない真っ暗闇に戸惑う男に俺はちょっと意地の悪いことを言いたくなってしまう。俺には慣れっこの暗闇と不安を、コイツがごまかそうと、蓋しようとして、あたふたしてるのがスゲー嬉しくなっちゃう。こんなこと人には言えないけど。

 もう、誰が認めるとか無視して、俺とマルの聖地をつくろう。そこには犬も居て、シルバラードもある。誰もが腫れ物になっていがみ合ってるなかで、俺はマルと犬と笑って暮らそう。

「ハローハロー、こちら地球」

 俺は神様に手を振る。神様も呑気にごろ寝しながら手を振り返した。 


[2020年4月25日脱稿 © Choko MOROYA 2020]


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